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自然農という覚悟 ― 自然農入門体験記(10)

2015/09/10 18:47
前回書いた7月26日(日)の生きもの観察会をはさんで、自然農野菜組も、後期に入った。
後期は、秋野菜の種まきから始まる。みなそれぞれに作付計画を持ち寄って、種付けの希望を語り合うことになるのだが、8月上旬の集まりでは、突然、畑を明け渡すことになった、一人の受講生の話から始まった。
草を刈らないことが地主さんの不評を買い、畑に除草剤をまかれてしまった。やりとりの末、結局、畑を返すことになったという。しかも、家付きなので、自宅も転居せざるを得なくなったという。受講者の中にも、こうした経験を持つ人は、多かれ少なかれいるようだ。
黒岩さんの経験でも、自然農の考え方を100%理解してもらうのは、ほとんど無理だという。
まず雑草が生えているということ自体に反感を持つ農家が多いからだとのこと。これまでの農業では、それこそ雑草を敵として徹底的に雑草対策をしてきたのだから、その考え方に立つ限り、雑草をはやすということ自体、許せないことなのだろう。
土地を借りている限り、このジレンマからは逃れられない。
だから、こうした周囲の目に対しては、自然農を理解してもらうというよりも、これまでの慣習通り、境界の草はきちんと刈って、地主さんが不快にならないようにしなければならない。そのためには、毎年の行事などにもある程度積極的に参加して、集落の一員としての義務を果たすことが必要だという。
別の話題ではあるが、似たような話を知り合いの建築家から聞いた。最近、都会で薪ストーブを設置する家が増えているが、その煙について周囲から苦情がしばしば寄せられるという。しかし、実際のところ、それは煙への苦情なのではなく、コミュニケーションの問題なのだという。つまり、家を建てるときに、ちゃんと挨拶をし、周囲への配慮を行えば、そうした苦情のほとんどは出ないのだというのだ。これと同じことが、自然農にも言えるのだろう。
集落の人々は、今までやってきたように生活していきたいし、あまり波風を立ててほしくはない。
そこで、外からやってきて、特別なことをするというような姿勢はことごとく嫌われる。
だから、どんなに自然農が人間の生き方の理に適っているかというようなことを説明したとしても、誰も耳を貸さないのだろう。むしろ、そうしたことを言えば言うほど、自然農は孤立してしまう。
だから、外から入ってきたものは、まず周囲の状況をよく見て、そこで行われてきた集団社会の慣習や習慣を尊重しつつ、その生活になじむことから始めることが必要になる。
黒岩さんの師に当たる川口由一さんの本を読んでも、自然農を決して押し付けてはいけないという立場が伝わってくる。
しかし一方で,人間の社会はそれでいいのかという思いも僕にはある。これは単純に周囲になじめばいいという話ではないだろう。自分の価値観を相手に押し付けることは決していいことではないが、押し付けられることもまた拒否せざるを得ない。もちろん、いやになったら、逃げだせばいいわけだが、土地付き、家付きでは問題はそう簡単ではない。前回の生きものの話と同様、それぞれがそれぞれを尊重する社会をつくるために何が必要なのかを考えることになるだろう。これはまさに相互文化的(intercultural)課題である。
自然農をやるということは,人間と人間の関係,そして個と集団の意味を考えさせてくれる機会でもあるが、いずれにしても、自分がどのようにして生きていくかということへの覚悟としてあるということになる。
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生きものと人間 ― 自然農入門体験記(9)

2015/08/08 17:24
7月26日(日),長野県富士見町の八ヶ岳自然生活学校で行われた生きもの観
察会に参加した。この催しは、この学校の自然農を理解するために、年に2回行われているもので、今回で6回目だという。

生きもの観察の専門家である林鷹央さんのガイドの下,子どもを含む参加者およそ十人ほどで黒岩自然農の田んぼの生きものを探し,炎天下1時間ほどの間に30種類以上の水中動物を採集した。

林さんの分類によると,この自然農の田んぼには,70種類以上の生きものが生息しているとのことで,これは全国的にもかなり珍しい例だそうだ。しかも,Aランクに相当する希少生物がかなりみられる点で特徴的だという。

観察の後,すべての生きものを田んぼに返し,いつもの地球ハウス(自然農の教室として使っているところ)で,黒岩さん自家製の低温発酵甘酒をいただきながら,夕方まで話し合いを行った。途中からは,筑波大学で環境問題を研究しているデビッドさんも参加,オーストラリアの絶滅危惧種の保存運動についてのお話もあった。

この話し合いに参加しながら,もう20年ほど前に,カヌーイストの野田知佑さんがきれいな川を保全するには,まず人間が川の流域に住まないことという話をどこかに書いていたのを思い出した。人間が生活することと環境を保全することの共存の困難さを指摘したエッセイだったのだが,そのころから環境と人間の共存については,頭のどこかにあったような気がする。

一方,環境保全というと,さまざまな生物の絶滅を防ぐための努力として,外来種の排除ということが主張される。しかし,外来種とは何かという議論もまた重要だろう。昔に戻せばいいという話でないことは明らかだからだ。

そうすると,生物の保存・環境の保全という問題は,むしろ人間とそれ以外の生物との関係をどうするかという課題であることに気づく。人間社会では,多文化多言語の共生がうたわれているが,これは,在来種と外来種という区別による議論ではない。人間以外の生物の場合,放置しておくと,すぐに強いものが優勢になって,あっというまに他の生物を駆逐してしまい,同一種が大量に繁殖する事態を招くという。同一種ばかりになると,今度は共食いという現象が生じ,生態系は完全に破壊されるという。生物多様性というコンセプトをどのように考えるかが,ここでも問われている。これを制御できるのは,人間の知恵以外になく,その意味で,生物科学の知見によって,どのように地球の生態系を維持していくかという課題であることはまちがいがない。

しかし一方で,人間の社会こそ,そうした「共食い」をしない社会でなければならないはずだ。これは単純な棲み分け論によって解決する問題でもなさそうだし,人が人を殺さない社会,それぞれがそれぞれを尊重する社会をつくるために何が必要なのかを考えることになるだろう。

田んぼの生きものを観察することは,生きものと人間の関係,そして生物多様性の意味をもう一度考えさせてくれる機会になった。
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